NHK 知恵泉「太宰治 その絶望を超えてゆけ」を見て
昨晩寝付けずにTVをつけたら、太宰について語る番組が流れていた。
その中で紹介されていた太宰の逸話で、「学問を修めたものが教養人なのではなく、人のつらさに敏感であるものが教養人なのだ」といった意図の言葉があり、胸を打たれた。
太宰は「優」という一字を好んでいたらしい。人を憂うと書くこの「優」とは、まさに人のつらさを想えることに他ならない、と紹介されていた。
ああー、そうか。自分はこれでよいのかもしれない。
少しだけそう思えた。
西村賢太もこの言葉に救われた思いだと語っていて、その感極まったような表情が印象に残っている。
(久しぶりに西村賢太の姿を見てオオッとも思った。元気そうで何より)
太宰の故郷探訪を記した「津軽」には、育て親であるタケと会って、生まれて初めてかもしれない心の平和を味わった、と書かれている。
「もうどうなってもいい」と心から思えた時に、人は平穏な気持ちを味わえるのかもしれない。
いつか自分も、そんな平和な気持ちになれる日が来るだろうか。
10年くらい前から、「安心したい」という祈りに似た願いを抱き続けている。
太宰のように苦悩の果てに平穏を見出した先人たちに触れるたび、いつかきっと平和な日が来る、まだ信じてみよう、と思える。
それが希望であります。
大学時代、太宰の作品は一通り読んだ。
今は神経症の症状で本を読むことは簡単ではなくなってしまったけれど、またいつか「津軽」を読んでみよう。
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「太宰治 その絶望を超えてゆけ」 https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20180626-31-04471